2009年 8月の日記

8月24日(月)「ニッポンの靴磨きの唄」

昭和20年終戦。敗戦後の焼け跡のにつきものだったのが、戦災孤児等
による街頭靴磨き。戦火に親兄弟を失って巷に放りだされた浮浪孤児た
ちが続出して、その中に自力で生きよう活力のある子供がとっついたの
が街頭での靴磨きでした。油性ワックスを一個持って、お客様はアメリカ
兵がほとんどだったようです。

東京シューシャインボーイは昭和26年ビクターより発売されて歌手は暁
テル子さん。暗い世相に反するように曲は明るくコミカルに歌っている印
象深い歌です。

ガード下の靴みがきは昭和30年同じくビクターより宮城まり子さんが歌っ
ています。敗戦から10年を経て世の中も少し落ち着いた世相を、この曲
は哀調的なメロディになっています。

現在、銀座4丁目の中央通りと交差している晴海通りを皇居方面に向か
うとJRの線路が上を通っています。平行して西銀座デパートがある場所
は、当時は川でした。その川に架かっていた橋が、君の名はで有名な数
寄屋橋です。銀座の象徴的な場所であった、この橋や袂のガード下には
昭和30年代後半頃まで靴みがきをして生計を立てている人たちが30人
位は居りました。

その頃になると軍服姿から背広に変身したサラリーマンが数少ない手持
ちの靴をピカピカに磨いて歩くことがおしゃれでステータスだったようです。

今は街頭での靴みがき屋さんもめったに見られなくなりました。この時代
を知る人も少なくなってきましたが、靴みがきの唄を聴けばなつかしい風
景を思い出す方も多いのではないでしょうか。

靴みがきの唄 ガード  下の靴みがき


8月7日(金) 「モゥブレィ号&ウォーリー号」

今回は当社自慢の(?)オリジナルカー、「Mowbray号」
と「WOLY号」を紹介します。

Mowbray号はトヨタハイエースにM.Mowbrayのロゴを輝か
せながら毎日走っています。
倉庫から重い靴クリームやシュートりー等を運んでおり、
かなりの力持ちです。

シューケア 車 モゥブレィ ウォーリー ロゴ入り 車
【写真左】モゥブレィ シューケア車 【右】ウォーリー ロゴ入り車

WOLY号はダイハツハイジェットで小回りが利きます!
Mowbray号とはうって変わって、かわいい雰囲気です。
こちらは主に浅草近隣を走っております。

街でこの2台の車を見つけて手を振ると願いがかなうとい
う噂もありますが・・、真意のほどは定かではありません(笑)

共に安全運転で走行いたします!


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